吉田松陰と久坂玄瑞 2

吉田松陰と久坂玄瑞 1 からの続きです。


久坂玄瑞
からの手紙は、
宮部鼎蔵に会ったこと、
宮部鼎蔵が松陰を褒めていたことから始まり
日本を憂うことが延々と書かれているものでした。

さらに
「蒙古襲来のとき、
モンゴルの使者を斬ったように、
米使を斬るべきだ」
という過激な一文もありました。

攘夷実行のために黒船密航まで行なった松陰の歓心を狙う部分もありました。 「吉田松陰と久坂玄瑞 2」の続きを読む…

吉田松陰の最初の弟子 金子重輔 1

静岡県下田市には「踏海の朝」という
吉田松陰の銅像があります。

松陰の横で膝をついているのが
金子重輔(かねこしげのすけ)です。

重輔(重之助とも呼ばれる)は、名は貞吉といい
長門国 阿武郡 紫福村の商人の家で
父・茂左衛門と母・ツルの間に長男として、
天保2年(1831)年2月13日に生まれました。

幼少の頃、白井小助に学び
その後は、久坂玄瑞を吉田松陰の元に行かせた
土屋蕭海からも学んだとされています。 「吉田松陰の最初の弟子 金子重輔 1」の続きを読む…