吉田松陰の最初の弟子 金子重輔 4

吉田松陰の最初の弟子 金子重輔 3 からの続きです。

4月11日早朝、松陰と重輔は
手に手鎖、足にほだを打たれ、
身に捕縄をかけられて、天城を越え、
唐丸籠で、江戸八丁堀の獄舎に到着しました。 「吉田松陰の最初の弟子 金子重輔 4」の続きを読む…

吉田松陰の最初の弟子 金子重輔 3

吉田松陰の最初の弟子 金子重輔 2 からの続きです。

ポータハン号に乗り込む時に
荷物を載せた小舟が
沖に流されてしまったことから、
間もなく、その小舟は見つかり、
密航も露見するであろうと
松陰も重輔も観念しました。 「吉田松陰の最初の弟子 金子重輔 3」の続きを読む…

吉田松陰の最初の弟子 金子重輔 2

吉田松陰の最初の弟子 金子重輔 1 からの続きです。

横浜に到着した翌日の夜、
松陰は、佐久間象山を訪ね
松代藩陣屋に行きました。

どうやって横浜沖の黒船に近づくかを
相談するためです。 「吉田松陰の最初の弟子 金子重輔 2」の続きを読む…

吉田松陰の最初の弟子 金子重輔 1

静岡県下田市には「踏海の朝」という
吉田松陰の銅像があります。

松陰の横で膝をついているのが
金子重輔(かねこしげのすけ)です。

重輔(重之助とも呼ばれる)は、名は貞吉といい
長門国 阿武郡 紫福村の商人の家で
父・茂左衛門と母・ツルの間に長男として、
天保2年(1831)年2月13日に生まれました。

幼少の頃、白井小助に学び
その後は、久坂玄瑞を吉田松陰の元に行かせた
土屋蕭海からも学んだとされています。 「吉田松陰の最初の弟子 金子重輔 1」の続きを読む…