吉田松陰の最期 2 からの続きです。
安政6年(1859)5月末、
江戸に身柄を送られる前晩、
野山獄から杉家に
松陰が一時帰宅できました。 「吉田松陰の最期 3」の続きを読む…
吉田松陰の最期 2 からの続きです。
安政6年(1859)5月末、
江戸に身柄を送られる前晩、
野山獄から杉家に
松陰が一時帰宅できました。 「吉田松陰の最期 3」の続きを読む…
吉田松陰の最期 1 からの続きです。
『留魂録』は、全16章から成り
有名な辞世の句
- 身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置かまし大和魂
十月念五日 二十一回猛士
は、冒頭に書き込まれました。 「吉田松陰の最期 2」の続きを読む…
江戸に送られ、小伝馬町の牢に
つながれた吉田松陰を
高杉晋作がたびたび見舞います。
その際、高杉は松陰に問いかけます。
- 大丈夫たる者の死に所とはどこでしょうか ?
- 私は今、何をすべきなのでしょうか ?
江戸送還 1 からの続きです。
吉田松陰が江戸に送還される前日の
5月24日のことです。
萩に帰って来た久坂玄瑞が
「先生を杉家に連れて行って欲しい」
と、野山獄の司獄・福川犀之助に会ってお願いします。 「吉田松陰 江戸送還 2」の続きを読む…
安政6年(1859)4月20日
吉田松陰の身柄を差し出すよう
幕府から長州藩江戸藩邸へ
命令が下りました。
この報せは、すぐに萩に届きます。
5月14日に野山獄を訪ねた兄・梅太郎から
松陰はそれを知らされますが
松陰は、あまり驚かなかったと言われてます。 「吉田松陰 江戸送還 1」の続きを読む…
老中・間部詮勝の要撃 その1 からの続きです。
吉田松陰に下された処分に対し、
松下村塾の塾生は、大いに反発します。
これに刺激された藩は
松陰に野山獄の再入獄を命じることになります。
すると今度は、周布宅などに
入江九一、吉田稔麿、前原一誠、品川弥二郎ら
8人の塾生が抗議に押しかけます。 「【花燃ゆ】老中・間部詮勝の要撃 その2」の続きを読む…
【花燃ゆ】第14話は「さらば青春」という
小椋佳の曲みたいなタイトルでしたが・・
ドラマの内容と合っているとは
思えませんでした。
「熱血先生、誕生」など・・・
【花燃ゆ】は、不思議なタイトルが目立ち
その度にドラマの内容が心配でした。
吉田松陰の妹の「文」が主人公だから
多少の脚色は仕方ないとは思いますが
それも度が過ぎると、
興冷めしてしまいます。 「【花燃ゆ】老中・間部詮勝の要撃 その1」の続きを読む…
【花燃ゆ】第11話では、
松陰が女性に講義をしていましたので
そのことについて、簡単に触れてみます。
野山獄から出獄した吉田松陰は
自宅で「孟子」の講義を始めた安政2~3年頃から
「女性の道徳」や「戒め」について
身近な兄嫁や妹たちに話を始めました。 「吉田松陰の女子教育」の続きを読む…
安政2年(1855)12月15日、
1年2ヶ月の野山獄での獄中生活を終え
吉田松陰は、自宅に「禁固」となりました。
病気療養を名目とした帰宅許可でしたので、
釈放とは違いましたので、
杉家の3畳半の一室に
閉居せざるを得ませんでした。
しかし、自宅に戻っていきなり松下村塾を開校したわけではありませんでした。 「吉田松陰と松下村塾」の続きを読む…
吉田松陰と野山獄 1 からの続きです。
前述の如く「借牢」で刑期がなく入獄している
野山獄の獄囚たちは、長い獄生活の中で
絶望と孤独に耐えていました。
「囚人だからといって、彼らを貶めるのは誤りである。
彼らもまた、心ある人間なのだ。」
松陰には、そんな信念がありましたので、
学問や教えによって獄を変えて、
獄囚たちが早く出獄できるように考えます。 「吉田松陰と野山獄 2」の続きを読む…