黒船と建白書

                                         

ドラマは話が前後していてわかりづらいので
時系列的に整理してみます。

吉田松陰のことが、さらっ~と流されているのは
松蔭の妹の杉文(井上真央)が主人公なので
仕方ないですが
より男子」ならぬ
花燃ゆ男子」みたいになっちゃってますね。

「花燃ゆ」のメインポスターのイケメン4人も、
何だか「F4」みたいですね。

寅次郎の動き

嘉永5年(1852年)12月

寅次郎(伊勢谷友介)は、
脱藩の罪により、士籍・家禄を没収されるものの
父・杉百合之介(長塚京三)の監督下におかれる
(はぐくみ)」という寛大な処分で済みました。

」とは、長州藩独自の制度で、
親族の保護下に、身分を剥奪された藩士を置いて、
一定期間後に失った身分を戻せる処分のことです。

身分が藩士ではない自由人となった寅次郎は、
長州藩主・毛利敬親(北大路欣也)から
10年間遊学が許されます。

 


 

嘉永6年(1853年)6月 

WS000090ペリーが浦賀に「黒船」で初来航します。
ペリーは幕府に圧倒的な軍事力で「開国」を迫ります。

江戸遊学中の寅次郎は、騒動を聞いて
佐久間象山とともに浦賀に駆けつけ
黒船」を目の当たりにし、激しい衝撃を受けました。

日本の危機を感じ、
憂国の精神を抑えきれなくなった寅次郎は、
浪人の身でありながらも、兵学の立場から
將及私言(しょうきゅうしげん)」をはじめとした急務策を
次々と藩主・毛利敬親の元へ建白書を提出しました。

当時、藩士でない者が建白書を藩主へ提出するのは、
最悪「死刑」も免れない行為でしたが
寅次郎は、「死」をも覚悟の上のことでした。

その後、象山の勧めもあって
異国の兵学や文化などを学ぶために
ロシア船長崎に停泊中と知った寅次郎は
ロシア船に乗り込んで渡航するために
長崎に向かいました。

けれども、寅次郎が長崎に到着した時には
ロシア船は、既に出港した後だったのです。

こうして寅次郎の1回目の渡航計画は、
未遂に終わってしまいました。

 


 

嘉永6年(1853年)7月

小田村伊之助(大沢たかお)と杉寿(優香)は、祝言をあげます。

生まれ年でいくと、伊之助は1829年、寿は1839年なので
伊之助は24歳、寿は14歳の夫婦ということになります。

寿は、夫のために健気に一生懸命に尽くします。

一方、寿を嫁に迎え入れ寅次郎との絆が深まった伊之助は
何があろうと寅次郎の味方になると心に誓い、
道理を飛び越えて行動する寅次郎を守るため東奔西走します。

頭の中は寅次郎でいっぱい・・
寅次郎に振り回されている伊之助に対し
寿は、新婚生活から、ご機嫌斜めです。

ドラマ第3話では、
長崎から江戸への帰路の途中で
萩に立ち寄り、文と話をしてますが
この婚礼の前後の頃かと思われます。

また、ドラマでは、寅次郎が
ここで、伊之助、兄の梅太郎(原田泰造)ともハチ合わせ、
建白書の話から、梅太郎は胸の内を寅次郎にぶつけます。

寅次郎は、今後、真面目に勉学に励むことを
心配する梅太郎に約束します。

伊之助は、寅次郎の真意を
見抜いている感じで、
その言葉を信じてなさそうです。

 

寅次郎の言葉 「どう生きる ?」

長崎から江戸へ戻る途中に萩に立ち寄った時、
寅次郎と文とのやり取りの中で
寅次郎の言葉が、心に残りましたね。

のう、文。お前はどう生きる ?

自分の人生を、自分の命を、
       何のために使う ?

兄はいつもその事を考えておる。

死など構わん。思いが届くなら。

知行合一」という言葉がある。
   知識だけじゃ意味がない。
行いを伴ってこそ、
   その知識には意味がある。

俺は、日本国の危機を
       知ってしもうた。
皆、その危機に気付かん。
      気付いても動かん。

じゃから俺が動く。
   この国を守らんにゃならん。

言葉だけ・・・知識だけ・・・では、駄目なんですね。
行動しないと・・・

まず、行動ですね。
これは、何についても言えますね。

 

少し長くなりましたので
続きは、次回にまわします。

第3話「ついてない男」その2
 へと続く

 


 

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