真田信幸と真田信繁

                                         

真田信繁(幸村)の兄は、1歳違いで
真田源三郎信幸と言います。

永禄9年(1566)、甲斐の
武田家の本拠地である甲府で生まれました。

関ヶ原の戦いで父の真田昌幸と決別したため
その決別の決意を込め「信之」と改めます。

 


 

本当は兄であった真田信繁

真田信繁真田信幸の母は、
今出川(菊亭)晴季の娘・山之手方とされていますが
それは、信幸の方らしく、
実際は、信繁の母は未詳で、家格が低かったため
弟とされたようです。

ですから、信繁の名前は「源次郎信繁」
信幸の名前が「源三郎信幸」で、
兄と弟との順番が逆に見えますが、
信繁が兄なら、つじつまが合います。

また、信繁は人質時代が長く
信幸のように一人前として戦うこともなく
父の戦いの手伝いのみでした。

さらに、兄は沼田城の城主となり、
「伊豆守」となりましたが、
信繁は「佐衛門佐(さえもんのすけ)」
という一階級下でした。

信繁は大名になれないコンプレックスを
つねに抱えていたのでした。

 


 

戦国の世を最後まで生き抜いた真田信幸

真田三代と言えば・・・
幸隆・昌幸・信繁(幸村)の活躍が華々しいのですが
「真田家」を守ったのは、93歳まで生き延びた
真田信幸でした。

けれども、家系を守るために
信幸は、相当の苦労がありました。

正妻は、徳川家康四天王のひとり
本多平八郎忠勝の娘・小松姫でしたが、
二人の間にできた
長男・信吉は38歳の若さで亡くなり、
信吉の長男・熊之助は2歳で早世します。

結局、信吉の弟・信政が
家督を継ぐ事になります。

そして昌幸が隠居した時には
すでに91歳でした。

家康、秀忠、家光、家綱の
なんと、徳川4代に仕えたのでした。

 


 

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