吉田松陰の最期 3

                                         

吉田松陰の最期 2 からの続きです。

安政6年(1859)5月末、
江戸に身柄を送られる前晩、
野山獄から杉家に
松陰が一時帰宅できました。

獄吏・福川犀之助の独自の判断で、
家族や門下生と決別する機会を
つくってくれたのです。

この夜、母親の滝は、
風呂で松陰の背中を流しながら
「きっと無事に帰ってくださるでしょうね」
と言います。

松陰は処刑されることは覚悟していましたが
そんな母に力強く
「大丈夫。必ず元気に帰って来ます」
と、約束しました。

 


 

約束を守った松陰

安政6年(1859)10月下旬のことです。

杉家では、長男の梅太郎と
三男の敏三郎がコレラにかかり
命が危ぶまれるような状態でした。

二人の看病で大変疲れていた滝は
うたた寝をしていました。

滝がウトウトしていると、
松陰が、滝の目の前に
「お母さん、ただいま帰ってまいりました」
と、晴れやかな顔で帰って来ました。

「ああ、嬉しい」と滝が喜び、
声を掛けようとすると
松陰の姿が消えて、そこで目が覚めました。ashoin

それから20日余りして、
松陰が刑死した知らせが
江戸から届きました。

指折り数えてみると、
滝が夢を見たその日は
まさに松陰の刑死した日でした。
時刻もほぼ同じだったそうです。

実は、父親の百合之助も
滝と同じ時間に夢を見ていました。

百合之助の夢では、
松陰が泰然自若として
何も取り乱さず首を斬られたというものでした。

二人の夢の話は、
文の姉・千代が記憶していました。

 


 

塾生が遺骸を引き取る

a-shinojoh02松陰の処刑の知らせは
江戸にいた塾生の
尾寺新之丞に届きます。

連絡を受けた小寺は
同じく塾生の飯田正伯を誘って
呉服橋の評定所に行きました。

獄卒に賄賂をつかませると
「刑が終わってしまった」
と言われてしまいます。

さらに賄賂を上乗せして
「小塚原の回向院に送られた」
ことを聞き出しました。

翌日、桂小五郎と伊藤利助(俊輔)も誘い
尾寺と飯田と4人で
回向院に向かいました。

4人は松陰の遺骸を受け取ります。

松陰は裸で、髪はザンバラ、
目を見開いたままで
四斗樽に入れられていました。

四人は遺骸を清めます。

飯田が髪を梳かし、
桂と尾寺が体を洗いました。

飯田は自分の羽二重、桂は襦袢、
伊藤は帯を松陰に着せました。

そして、松陰の遺骸を土葬にして
墓を建て、墓には辞世を刻みました。

 

 

幕府が墓を壊す

しかし、回向院の松陰の墓は
幕府によって取り壊されてしまいます。

3年後、松陰の墓は、
高杉晋作や伊藤利助(俊輔)などによって
世田谷に移築されました。

それが、現在の「松蔭神社」です。

 


 

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