いさぎよく自首 下田の獄舎での講義

                                         

吉田松陰の最初の弟子 金子重輔 2 からの続きです。

ポータハン号に乗り込む時に
荷物を載せた小舟が
沖に流されてしまったことから、
間もなく、その小舟は見つかり、
密航も露見するであろうと
松陰も重輔も観念しました。

 


 

いさぎよく自首

浜に着いた二人は絶望の淵に立ち
しばらく沈黙を続けていましたが、

「いさぎよく切腹しましょう !」

と、金子重輔が口を開きました。

「死んではならぬ。なんのこれしきのこと。」

静かに首を振ってから笑って見せた吉田松陰

「仕方ない。自首しよう !」

と、柿崎村の名主・平右衛門の家に名乗り出ました。

名主は迷惑がかかるから、それとなく逃がそうとしましたが

「罪は罪である。男児は罪を犯して逃げ隠れするようなことがあってはならない。」

と、松陰は自首すべく下田番所への連絡を迫りました。

名主からの連絡を受けて、
下田番所から役人が来たのは、
丸一日を経過した夜だったと云われています。

 


 

獄舎の中でも勉強

下田番所に連行された二人は、
宝福寺で取り調べを受けた後、
宝光院長命寺(廃寺)に、
一旦、拘禁されました。

翌日から本格的な取り調べが始まると、
見せしめのため路上に面した
鶏小屋のような狭い平滑(ひらなめ)の獄舎
二人は入れられました。

松陰は、畳一畳ほどの狭い牢獄の中から
牢番に声を掛けます。

「昨夜、バッテイラ(小舟)に載せていた荷物が流されてしまい、手元に書物がありません。
恐れ入りますが、何かあなたの御手元にある書物を貸して頂けませんでしょうか?」

牢番は、びっくりしました。

「あなた方は、大それた密航を企み、このような囚人の身となっています。
何も檻の中で勉強をしなくてもいいじゃないですか。
いずれは重い処刑になるのだから……」

すると、松陰は言いました。

「ごもっとです。それは覚悟していますが、
お仕置きになるまでには、まだまだ時間があります。

それまでは、やはり一日の仕事をしないといけない。

人間というものは、一日この世に生きていれば、
一日のを喰らい、一日のを着、一日の家にみます。

ですから、一日の学問、一日の事業を励んで、
天地万物感謝し、ご報恩をしなければなりません。

この話に、ご理解・ご納得頂けましたら、
どうかお貸し頂けますようお願いいたします。」

牢番は、この一言に深く感じ入って、

  • 『赤穂義士傳』
  • 『三河後風土記』
  • 『眞田三代記』

の3冊を持ってきて、松陰の手に渡しました。

すると、松陰は重輔と二人で
これを誦読していましたが、
そのゆったりとした態度は、
やがて処刑に赴く囚人のようには、
とても見えませんでした。

そして松陰は、

『金子君、このような状況の中でする学問こそ、本当の学問です』

振り返って重輔に言いました。

 

 

獄舎の中から講義

ashoin001牢番や見物人らを相手に、
大きな声で国家の危機を説き続ける
松陰の堂々たる態度を見ているうちに、
尊敬するものが出てきます。

平滑の牢番の金太郎もそのうちの一人でした。
金太郎は、獄舎の中で松陰が重輔に教育指導をする
論語読みを、日夜、傍で聞いていました。

  • なぜ夷狄(いてき)を警戒すべきなのか
  • 人として大切にすべきものは何か

そんな松陰の話に
次第に心が動かされた多くの村人が、
毎日、獄舎の前に集まって来て
松陰の講義を聴くようになりました。

普通なら、囚人の言うことなど
誰も耳を貸さない筈なのですが
松陰の話は、下田の人々の心を打ったのです。

牢番も、物めずらしさで見物に来た人も
松陰の涙を浮かべて同情したといいます。

松陰の人の心を動かす力が
こんなところでも発揮されていました。

 

下田から江戸へ護送

4月8日、江戸へ松陰と重輔を護送するため
八丁堀同心2人と岡っ引き5人が
江戸から身柄を受け取りに来ました。

4泊5日の道中の警備は厳重なものの
同心らは松陰の意図を理解していたためか
極めて丁重な扱いで、
休憩ごとに茶菓を勧められたほどです。

この道中でも、夜の番をするお役目の者に
松陰は、いろいろな話をしたそうです。

松陰の話を聞いた者たちは
「生まれてこの方、こんな愉快な時はなかった」
と言ったといいます。

どんな話をしたのかわかりませんが
松陰の知識や言葉には、
人を魅了する力があったのでしょう。

一方、松陰と重輔が密航で使用して
沖へ流された小船が見つかり、
残した荷物の中から、
佐久間象山が松陰に送った送別の詩等があったため、
密航を煽動・共謀したという疑いで
佐久間象山も逮捕されてしまいました。

吉田松陰の最初の弟子 金子重輔 4
 へと続く

 


 

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