【花燃ゆ】第11話では、
松陰が女性に講義をしていましたので
そのことについて、簡単に触れてみます。
野山獄から出獄した吉田松陰は
自宅で「孟子」の講義を始めた安政2~3年頃から
「女性の道徳」や「戒め」について
身近な兄嫁や妹たちに話を始めました。
月一度のこの講義は
松陰の母親の滝が夕食の片付けを終えてから
「さあさあ~ これから大さん(松陰)のお話が始まりますよ。
みんな行って聞きましょう !」
と、家族のみんなを誘ったそうです。
松陰の講義が日課の文
文は「松下村塾」にこそ
入門していませんでしたが
教室の外から松陰の話を聞くことを
日課としていたのでした。
文が松陰の講義を日課としていたその頃、
松陰は「女学校」の設立を提唱していました。
吉田松陰の「女学校」思想
安政3年(1856)7月
「女学校」について、松陰は
次のように考えていました。
- 先生は、40代、50代の武家の未亡人で、
貞節の固い、技芸、学問に優れた女性を選ぶ。 - 5、6人を学校に寄宿させるが、
寄宿する生徒には厳正に教育してもらう。 - 生徒は、8才から10才までの武家の子どもで、
希望者は寄宿できる。 - 教育内容は、「手習い」「学問」「女性の道」
「よい人間をつくるためには、よい母親をつくらねばならない」
と、松陰はつねづね考えていました。
母・滝の姿を見てきたせいだと思われます。
歴史に残る天才と言われている人物は
素晴らしい母親が、必ず・・と言ってよい程、存在しています。
松陰も、例外ではありませんでした。
滝の話は長くなりますので、後日、説明させて頂きます。