吉田松陰 江戸送還 2

                                         

江戸送還 1 からの続きです。

吉田松陰が江戸に送還される前日の
5月24日のことです。

萩に帰って来た久坂玄瑞が
「先生を杉家に連れて行って欲しい」
と、野山獄の司獄・福川犀之助に会ってお願いします。

「今晩、先生をお連れします」
早速、福川は杉家に行き報告しました。

実は、福川の独断により
松陰を一時帰宅が許されたのでしたが
後に福川は、この独断を咎められ
10日間の謹慎に処せられます。

福川犀之助の漢(おとこ)気で、松陰は
杉家の家族や松下村塾の塾生たちと
最後の別れができたのです。

 


 

杉家での最後のひととき

a-shouin母・滝や妹たちが風呂を炊き
食事の用意をして
松陰の帰りを待っていました。

福川は松陰を自宅の方に案内し
夜中に滝は、松陰を迎えました。

滝が仏壇に燈明をあげ、
「無事に帰れるように手を合わせなさい」
と松陰に促し、素直に松陰もこれに従います。

また入浴する松陰の背中を、
滝が流しながら言葉を交わしました。

妹の千代は、松陰の着物を着替えさせます。

寿はカミソリで松陰のヒゲを剃りました。

松陰は「罪人」の扱いなので、
月代には手を触れられませんでしたが
文は松陰の髪をすき結い直しました。

また、集まった塾生たちは、
松浦亀太郎が描いた松陰の肖像画を
褒め称えます。

「われもし磔されるともこの幅すなわち生色あらん」
と、松陰も亀太郎が描いた肖像画に
自分の心が宿っているとする
最大限の賞賛を送りました。

 


 

高須久子との別れ

江戸へ旅立つ松陰に、
野山獄で再会した高須久子
餞別に手布巾を贈りました。

「高須うしのせんべつとありて汗ふきを送られければ」
と松陰は前書きして和歌を詠みました。

箱根山 越すとき汗の 出(いで)やせん
君を思ひて ふき清めてん

久子も別れの相聞の句を
松陰に贈ります。

手のとはぬ 雲に 樗(おうち)の 咲く日かな

すると松陰は
「高須うしに申し上ぐるとて」
として、最後に次の一句を詠みます。

一声を いかで忘れん 郭公(ほととぎす)

a-onna遠く離れて行く愛しい人を
手の届かぬほど成長する栴檀(せんだん)にたとえ、

忘れたくないその声をホトトギスに見立てて別れを惜しむ
そんな相聞歌のように感じさえします。

高須久子も、松陰も
お互いに忘れがたい存在であったのでしょう。

 

 

涙松での別れ

5月25日(現在の6月25日)早朝、
前夜から続く雨の中、松陰は
網をかけた駕籠に乗せられ、
30人とともに江戸へ向かいます。

萩城下を出て、涙松に差しかかった時、
松陰は頼んで駕籠から下ります。

そして、涙松から見える雨に煙る萩城下に
万感の思いを込めて句を詠み
別れを告げました。

帰らじと 思いさだめし旅なれば
ひとしほ濡るる 涙松かな

それから、ちょうど1ヵ月後の6月25日に
松陰一行は、江戸に到着するのでした。

 


 

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