入江九一と野村靖 その2

                                         

入江九一と野村靖 その1 からの続きです。

そんな入江九一・野村靖兄弟に、
母・満智は言います。

「お前たちは国法を犯したのだから、
罰せられるのは当然です。

しかし、それは国を思い、
お殿様に忠義を尽くさんがため。

それならば、
どんな重罪に処されようと、
ひるまず信じる道を行きなさい。
それが母の望むところです」

母の言葉に、九一・靖兄弟は奮起し、
謹慎が解けるや、師である吉田松陰の
次の密命である『伏見要駕策』を受け、
行動します。

 


 

『伏見要駕策』の決行

a-sankin伏見要駕策』とは
参勤交代で江戸に向かう
藩主・毛利敬親の行列を伏見で待ち受け
大原重徳が敬親を説得し京都に招き入れ、
幕府の失政に対して
孝明天皇から糾弾してもらえるように
敬親から嘆願してもらう・・
と、いうものでした。

九一・靖は、松陰の計画を実現すべく
行動を開始しますが、
年老いた母と妹がいます。

二人とも命を落としては
母と妹の面倒を見る者がいなくなるため、
弟の靖のみが京都に向かうことになります。

九一、靖兄弟の暮らしは
とても貧しく、蓄えもなかったため、
家財道具を売却して
京までの旅費を工面します。

しかし、『伏見要駕策』は
ほどなく藩の知るところとなり、
九一は捕えられ岩倉獄に投獄されます。

一方、靖は、決死の覚悟で京に辿り着きますが、
大原重徳の協力を得ることができなかったりして
計画が頓挫します。

窮した靖は、京の長州藩邸に自首します。
(藩からの追手に捕縛された説もあり)

萩に送還された靖も
兄・九一と同じ岩倉獄に投獄され
結局、『伏見要駕策』は失敗に終わります。

貧しい上に収入のあてがなくなった母と妹のために、
九一・靖兄弟は、岩倉獄の獄中で写本をし
いくらかの生活費を送ったといわれています。

そんな九一・靖兄弟に
松陰は、野山獄から礼状を送りました。

あなたたちが『伏見要駕策』に
動いてくれたおかげで、
事は成らずとも、
長州に忠義の心があることは
天下に知れ渡った。
感謝に堪えません

 


 

吉田松陰の江戸送還

九一・靖兄弟は、
松陰の江戸送還を岩倉獄の獄中で知り、
これが永別になることを察します。
そんな松陰に、靖は手紙を送りました。

嗚呼、先生の顔また拝するべからず、
先生の声また聞き得べからず。

(中略)

愚生といえども必ず読書勉励し、
必ず王事に死せん

九一・靖兄弟が牢を出られたのは
松陰が処刑され、、
井伊大老が桜田門外で討たれた翌月の
万延元年(1860)閏3月のことでした。

以後、二人は士分に取り立てられ、
松下村塾の同志らと活躍します。

禁門の変で、九一が果てた後も、
靖が遺志を引き継ぎ、
明治維新を目指すことになります。

 


 

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