久坂玄瑞と杉文との結婚

                                         

久坂玄瑞と文は
安政4年(1857)12月5日に
結婚しました。

久坂18歳、文15歳
松陰が28歳の時でした。

実は、文は久坂に惚れていました。
久坂の前では顔を赤らめたりして
塾生の間でも評判でした。

それもそのはず・・
久坂玄瑞は眉目秀麗の俊才でした。

身長も、当時としてはかなりの大柄で、
六尺(約180cm)あり、
詩を吟じると美声であったと言われてますので
かなり目立つ青年だったことでしょう。

元松下村塾生の横山重五郎は、

君子の風格があり、
音吐朗々として、文才豊かな詩人だった

と、久坂について書き残しています。

 


 

逃げの小五郎

abouzu吉田松陰の友達で
長州の僧の月性がいます。

月性は文の縁談のことを心配してました。

文は15歳ですが
器量がよくない上、色黒で、小さくて、首が太い

だから、誰かが世話をしてやらないと
間違いなく嫁ぎ遅れるだろうと感じてました。

「文の結婚相手に桂小五郎はどうか ?」
と、月性は思っていました。

桂小五郎は、明倫館以来の吉田松陰の弟子ですが
松下村塾の門弟ではありません。

ある日、松陰は
「文をもらってくれぬか ?」
と、小五郎に聞きました。

「考えておきましょう」
小五郎は、そう言って返事をしませんでした。

anigeruそして、そのまま江戸に逃げてしまいました。

池田屋事件でも助かった桂小五郎です。
さすが「逃げの小五郎」でした。

 


 

久坂玄瑞と文との縁談

WS000090 (2)久坂が松下村塾の門下生となって、
半年以上が過ぎた頃
久坂と文との縁談が進みました。

「文を松下村塾一の秀才に嫁がせたい」
という思いが、松陰にあったとは思いますが、
実際に仲立ちしたのは、
塾生の中谷正亮(しょうすけ)でした。

中谷正亮は松陰よりも2歳年上で、
藩校・明倫館で秀才と謳われた人物でしたが
松陰に教えを請い、最年長の塾生として
久坂や高杉らとともに学んでいました。

また、中川は、松下村塾の年少者に対しては、
助教的な役割を務めていたと言われています。

そんな中谷が久坂に対して、
冬のある日、文との縁談を切り出します。

天涯孤独の久坂の身を案じていたでしょうし、
松陰の相談を受けていたとも言われています。

「先生の妹御の文殿を嫁にもらう気はないか」
と中谷が言うと、

「その気はありません」
と、久坂は即座に断ったといいます。

「理由を腹蔵なく言え」
中谷は奮然として久坂に迫りました。

すると久坂は答えました。
「ふみさんはふべっぴんでしょう」

「恥ずかしいと思わぬか。
色をもって妻を決めるとは !」
中谷は久坂を叱りつけます。

そう言われて久坂は、返す言葉を失い
結局、観念しました。ahanayome

「よし。文をもらおう !」

こうして、久坂と文の結婚となったわけです。

こうして、中谷正亮の役目が無事に終わり
土屋簫海の晩酌で婚礼が行われました。

安政5年の正月は、
久坂玄瑞、文、吉田松陰で、
穏やかな正月を迎えた
と、『留魂録』の史伝にあります。

萩は、まさに「嵐の前の静けさ」の中にありました。
この後「安政の大獄」が起こるのです。

 


 

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