歴史は現代的価値観で判断できない

                                         

老中・間部詮勝の要撃 その1 からの続きです。

吉田松陰に下された処分に対し、
松下村塾の塾生は、大いに反発します。

これに刺激された藩は
松陰に野山獄の再入獄を命じることになります。

すると今度は、周布宅などに
入江九一、吉田稔麿、前原一誠、品川弥二郎ら
8人の塾生が抗議に押しかけます。

周布政之助は、その剣幕にたまりかね
屋敷の裏口から逃げ出したと言われています。

当然ながら、これらの塾生の抗議行動は、
藩に咎められることになり、
自宅謹慎に処せられます。

 


 

吉田稔麿を可愛がった吉田松陰

toshimaroこんな中で、吉田稔麿は、
息子の行動を案じた両親から、
松下村塾の塾生との交流を絶つように
強いられます。

稔麿は、両親と松陰との板挟みとなり
これ以後、苦しむことになります。

野山獄内の松陰は
稔麿の立場を思いやり、
しばらく父母の心を安んずるか
と理解を示しています。

松陰からは「無逸」という
字を与えられて可愛がられ、
久坂玄瑞、高杉晋作、入江九一と並んで
松下村塾四天王」と
称される吉田稔麿です。

そのような稔麿が、【花燃ゆ】第14話のように、
「先生の大義のためには死ねません。
先生の大義は僕には大き過ぎます」
とは言ってませんし、言うこともあり得ません。

 


 

兵学者・吉田松陰の私塾

【花燃ゆ】第14話では、松陰が

「塾を潰されようと、獄に繋がれようと、
僕らの『志』が絶たれることはない」

と、強がりを言っているような描写となっていましたが、

実際に、松陰のこの言葉の通り・・
松陰の死後も、その『志』が
絶たれることがなかったからこそ、
明治維新に結びついたと言えます。

shouka02そもそも松下村塾は、
「武士道精神」を重んじる山鹿流兵学の
兵学者である吉田松陰の私塾です。

しかも、恵まれない子を
ボランティアで受け入れている寺子屋ではなく、
日本の国が始まって以来初めて
他国の支配を受ける植民地になるかどうか・・
という強烈な危機意識の中で、
身を捨てて世の中を変えようとしている
若者が集っている真剣勝負の塾です。

【花燃ゆ】第14話では、

「ここ(松下村塾)は
人殺しの算段をする場所ですか ?」

と文が松陰をなじっていますが

そもそもの松下村塾の本質を考えれば、
こんな言葉は出るハズもなく
現代的価値観の言葉過ぎて
強い違和感がありました。

ドラマのこの場面をご覧になられて
興冷めされた方もいらっしゃることでしょう。

また、あのドラマの内容を受けて
松下村塾をテロリスト集団と見做すような
ブログも拝見しました。

現代的価値観で見れば、
そうなのかもしれませんが・・

歴史を、現代的価値観を尺度にして
見たり、判断したりすることは危険です。

それは、歴史を
恣意的に見誤りかねないからです。

例えば、戦国時代の武将の行為を
現代的価値観で考えることはできないのと
同じことです。

その時、その人は、どんな立場で、
どんな状況に置かれた中で、
何を大切に思っていたのか・・
それを客観的にとらえてこそ
はじめてその人の本当の姿が見えて来ます。

価値観や観念や常識は、
時代や社会の形態とともに
刻々と変化して行きます。

現在の世では正しい・・
と、されていることの中でも
将来の世ででは、正しくなくなる
こともあり得ます。

 

 

家族から信頼されていた吉田松陰

ドラマ【花燃ゆ】では、これから
どのように描写するのかわかりませんが・・

野山獄の中から発する松陰の要撃計画
久坂玄瑞や高杉晋作らの弟子たちが
時期尚早と宥め、獄中の松陰が怒って
「絶交」を宣言する場面も出て来ます。

これも、弟子たちは時期尚早と
言っているだけであって、
松陰の目指す方向は
決して否定しているわけではありません。

shouka03また、松陰の父・百合之助や
叔父・玉木文之進が、
松陰の老中・間部の要撃計画
止めようとしたという記録もありません。

もちろん家族の中のことは、
記録には残りませんので
想像するしかありません。

松陰の辞世の句には
弟子に宛てた

「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも
留め置かまし 大和魂」

この句は有名ですが・・
家族に宛てた

親思ふ 心にまさる 親心 
けふのおとずれ 何ときくらん

があります。

松陰は、処刑される直前まで
我が身よりも、親の心情を案じていました。

そんな細やかな愛情が通い合った親子ですから、
両親も家族も、松陰への信頼は
盤石なモノがあったと思います。

松陰の『志』や信念から生じてしまう苦難も
松陰の家族は、大変なこととは
捉えてはいなかったことでしょう。

ひたすら松陰のことを信じ、
新しい時代への礎としての『受難』として
武士の家庭らしく毅然と受け止めていたことでしょう。

大志は、一人で成し遂げられるものではなく
身近な人間の理解と協力が不可欠です。

吉田松陰は、
杉家の家族の愛情や信頼関係があったからこそ
あのような偉業を全うすることができたのでしょう。

 


 

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