「生きて傷つくことも償い」 野山獄で『孟子』の講義

                                         

第6話「女囚の秘密」その3 の続きです。

福川が、野山獄の房の錠を開けると、
井上喜左衛門(小浜正寛)が出てきました。

井上は、何かを握りしめ、久子の房に向かいます。

「もし高須殿・・・聞かしてくれんか ?
 これのことでござる!」

そんな井上の声に、皆が房から出てきました。
井上の手には、久子が捨てた文のお手玉がありました。

「吉田の妹御が高須に差し入れたもんじゃ」 福川が説明した。

 


 

生きて傷つくことも償い

「それは私か捨てたものでございます」
 
房の中の久子が言います。

「なんでじゃ!
 妹御の心尽くしの品をなんで捨てた」

文から筆をもらって嬉しい富永は驚きます。

「おぬしはそれで楽しげに興じてらんかったか」 

富永や河野が次々に声を上げると、
久子はふっと微笑んでから、静かに言いました。

大切な品だったからでございます」

「・・??・・」

寅次郎は金子のボタオをぎゅっと握りしめると、
房から飛び出し、久子の房の前に行きました。

「お聞かせください。

 私にも手放せんもんがある。
 なのにあなたは捨てたという。

 大切だから捨てたと。
 なぜじゃ。
 なぜあなたはそのようなことができたんじゃ」

一呼吸おいて、久子は口を開いた。

「あの子が嫌いでございました。
 文さんは、私か二度と求めてはならないものを
 あまりに無邪気にまとっておいででした。

 獄につながれた時、言い聞かせました。

 二度と求めてはいけないと。
 美しいものも、楽しいものもすべて・・・」

寅次郎を訪ねてくるハツラツとした文に
久子は、愛娘・糸の姿を重ねたのでしょう。

キラキラとした文を見ていると
封印した想いが、どうしても蘇ってしまい・・
二度と触れることのできない娘に対して
一度は諦めた気持ちを、
母として、どうしても抑えきれなくなったのでしょう。

「娘とも決して会わぬつもりでした。 でも・・」

そこまで久子が言いかけた時です。

「会えたではないか・・」

一同が大きな声がする方を見ると
野山獄生活48年の大ベテラン
大深虎之丞(品川徹)でした。

「あきらめて背を向けておったモンに・・
 めぐりおうたではないかぁ・・・」

大深がそう言うと、久子が続けました。

娘は私を憎いと言いました。
 ・・・でも、どうしたことでしょう・・・
 その言葉を聞いた時、初めて分かったのです。
 生きて傷つくことも償いではないか

久子と自分は同じだと寅次郎は思いました。
そして、久子の苦悩の果てに行き着いた
生きて傷つくことも償いではないか」
という境地に、寅次郎の心は大きく揺り動かされます。

 


 

寅次郎の講義

今までとは、表情が変わり
寅次郎に、スイッチが入りました。

孟子は、こう言われました。

『万物皆我に備わる。
 身を反(かえり)みて誠あらば
 楽しみこれより
 大なるはなし』 

 つまり、すべての感情は、
 元々、人の本性の中に備わっているもんなんです。

 悲しみや悪だけではない。
 善もまた然り。
 喜びもまた然り。

 一生、獄の中にあろうと、
 心を磨き、己の心に目を凝らし、誠を尽くせば、
 人は生まれ変わることができる

「幻を申すな!」 富永が怒鳴りました。

「幻などではないっ! 」

井上の手からお手玉を取って、寅次郎は続けます。
目に光が戻り、顔が輝いています。

「現に、これを手にして、高須殿は変わられた。 
 を手にして、富永殿は変わられたではないか! 

 皆はどうです。
 『鳥』・・と書けば、鳥が見える。
 『花』・・と書けば、桜が匂う。

 心にそれを感じたのであれば、
 それは幻などではない! 
 人は変われるんです。」

お手玉を久子の手に渡しながら寅次郎は言います。

己の心から・・目を背けてはいけん

それは同時に寅次郎自身にも言い聞かせているのでした。

「そうじゃあ・・
 お主は、なかなかええことを言う。
 続けろ !」

大深虎之丞が、房から出てきて言います。

「お主の話をもっと聞きたい。
 在獄48年・・・
 今日は誠に愉快である ! はっ!」

そう大深が言うと獄吏も獄囚も一同大爆笑。

そして、悪態をついていた富永がやって来て、
寅次郎に一冊の書物を差し出しました。

孟子集註』でした。
富永が寅次郎を認めた瞬間でした。

寅次郎は丁寧に書物を受け取り、
片手に載せているボタオ
しばらく見つめてから
吹っ切れたかのように、みんなの方を見ます。
そして講義をします。

 

 

寅次郎の復活と新生・野山獄

文と伊之助が野山獄に行くと誰もいない。

凛とした寅次郎の講義する声が、
中庭の方から聞こえてきます。

覗いてみた文と伊之助は、その光景に驚きました。

すっと背を伸ばして座り
孟子』を講じている寅次郎。

獄囚も獄吏の福川たちも
目を輝かせながら
真剣に寅次郎の講義を聞いています。

「つまり、天は、ある者を見込んで、
 その才を試そうとするとき、
 まず試練を与える。

 逆境こそが人を育てる。
 人を大いなるものにする。
 獄もまたしかり!」

「天が与えた試練」
「逆境こそが人を育てる」
逆境の中で真摯に立ち向かっている寅次郎の姿と
試練に立ち向かえていない自分への反省からなのか
寅次郎の姿をじっと見ていた伊之助は
そのまま野山獄を出ようとしました。

 

「義兄上。寅兄様と話さんでええんですか?」

「ええんじや。俺には俺のやることがある。
 胸を張ってそう言えるまで、あいつとは会わん」

伊之助は文にそう言うと、微笑みながら
野山獄をあとにしました。

「どうして、こねなことに ?」 
 文は、野山獄の変化を福川に聞くと・・・

「そうじゃな。
 強いて言やあ……お前の筆のせいじゃ!!」

「・・・??」
文は首をひねった。

寅次郎の獄囚たちへの講義は続いています。
獄囚たちも、活き活きと、
そして楽しそうに学んでます。

 


 

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