学びの場と生活の実技

                                         

「私が死んだ後は美和を妻に迎えて下さい」
という手紙を楫取素彦に残し
寿は亡くなります。

明治14(1881)年、
美和は、群馬の楫取家で
母親たちの学びの場ができました・・
と、寿の位牌に報告します。

女たちの学びの場は、毎日、
色んな女の人達が
生きる力を身につけるために
勉強に来てくれ、
女たちの松下村塾のようでした。

また、野菜など、
できることでもいいので
月謝を払うことが
身に付けるための
ひとつの決まりでした。

 


 

県庁の風向き

一方、群馬県庁では、
アメリカのリチャードソンから
信用を得、生糸の再発注が来て、
職員一同喜びます。

また、阿久沢権蔵も
楫取の強い味方となっています。

「風向きが変わったんだ。
時代を読むも政治家だ」
と鈴木栄太郎に語る阿久沢でした。

 


 

学問以外の実技

そんなある日、学び場で
美和たちが、アイスクリームを
作っている時に
富岡製糸場で女工をしている
スエ、マサ、テイがやって来ます。

この学び場では、
勉強の他に、料理や
お菓子作りも教えてもらえる
ウワサを聞きつけたからです。

出来立てのアイスクリームを食べて
みんな大感激です。

実は、レシピは
毛利安子が送ってくれたのです。

その頃、安子は
アイスクリームを食べながら
次に美和へ何を送ろうかと、
ストロベリージャムや
マドレーヌのレシピを
嬉しそうに眺めています。

その日の夕方、楫取家では、
美和が楫取に、
学びの場で料理や裁縫などの
実技を取り入れることを話します。

楫取は、賛同してくれます。

 

 

楫取の不安

そして、楫取は美和に
政府が国営の産業を
民間に払い下げ始めたことを
心配している胸の内をあかします。

東京の明治政府では、
赤字続きの官営工場を民間へ払い下げ、
財政の再建を図っており、
農商務卿・西郷従道らが
富岡製糸場も払い下げを検討していました。

 

 

松下村塾復活

その頃、萩の杉家では
美和の兄である杉民治が
松下村塾を再開していました。

民治は、真面目に勉強しない
子どもたちに手を焼いています。

そんな様子を見ている滝、亀は、
松下村塾を守ろうと
近所の子供たちに教えていた
寿のことを思い出すのでした。

 

 

生活の実技講習

一方、群馬の美和の学び場では、
おいしい米の炊き方を
船津伝次平が講師となって教えています。

この方法だと
今まで30分かかっていたのが、
18~19分で済み、
1年間では大きなコストが
削減できることも教えてもらい
女たちは驚いています。

そんな学び場の様子に
見学に来た楫取は、
生活の実技が学べることが
人気のひとつであることを知ります。

その日の夕刻、楫取家で
その炊き方をしたご飯を食べ
あまりの美味しさに、楫取は驚きます。

あの学び場のように
生活に役立つ実技を学べる学校なら
女の子の就学率も上がるのでは・・
と、女児のための学校を作ることに
力を貸してくれるよう
楫取は、美和に頼むのでした。

第48話「富岡製糸場の危機」その2 へと続く。

 


 

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