もうひとつの留魂録

                                         

群馬の前橋の楫取家では
朝、楫取素彦が仕事に出掛けるのを
美和が見送りますが、
自分の辛い気持ちを
楫取に曝け出してしまった美和は
何となくきまりが悪く、
どことなく、ぎこちありません。

 


 

商人の時代

県庁の会合の飲み会では
生糸の商人たちが
県令の楫取をそっちのけで
勧業課長の阿久沢権蔵を取り囲み、
盛り上がっています。

その中で、楫取にお酌に来た阿久沢は
武士の世は終わり、
これからは商人の時代と言います。

そんな阿久沢に、楫取は
教育の大切さを説くのですが、
阿久沢は、教育よりも
目先の商売の方が大事なので
前橋まで、早く鉄道をひいてもらい、
生糸が、横浜まで
すぐに送れるようにしてほしい
と、楫取に頼み込むのでした。

一方、楫取家には
病で休んでいる寿に
せいと県庁職員の妻たちが
小麦でこしらえた焼きまんじゅうを
差し入れに来てくれます。

その時に、せいから、美和は、
寿の看病に専念し
女たちに字を教えるというようなことは
考えないでほしい・・と釘を刺されます。

 


 

留魂録

その年の暮れ、懐かしい人物が
楫取の元を訪ねてきました。

松下村塾の塾生であった
神奈川県令となった野村靖でした。

野村は、楫取に
古びた紙の束を渡します。

それは、吉田松蔭が残した
留魂録』でした。

京での戦の時に
久坂玄瑞とともに燃えてしまったものと
思っていたのでしたが
松蔭はもう1つ書いていたのでした。

松蔭はそれを伝馬町の牢の中で
沼崎吉五郎という牢名主に託していたのでした。

その後、沼崎は島流しにあったのですが
これを着物の襟に縫いこんで
ずっと隠し持っていたのでした。

野村は、松下村塾の塾生の証として

「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留置まし 大和魂」

の句を諳んじると、沼崎は『留魂録』を
野村に手渡したのでした。

17年の時を経て、
楫取と美和の元に帰ってきた『留魂録』から
2人は、自分たちの『志』に勇気を頂くのでした。

 

 

日本一

年が開けた明治10(1877)年、正月、
新年の県庁職員との宴の席で、
楫取は阿久沢に、
群馬の生糸の産業を
日本一にするのと同時に
教育でも日本一の県にすると言います。

そのため、阿久沢は
鈴木栄太郎、工藤長次郎らを率いて
教育は必要ない・・と
その後、厳しく抗議してきました。

それを聞いた楫取は
「私が間違っていたようです」と笑います。

その後、楫取は、農村の実態を掴むため
一軒一軒歩き廻ります。

美和も阿久沢商店へ行き、
せいに女達への教育を訴えますが
けんもほろろに断られてしまいます。

楫取は、自分の足で歩いて
商人たちは潤ってはいるが
桑や蚕を育てる農民が貧しく、
子供たちが働き手にならざるを得ない
現状を知ります。

また、そもそも学校が少ないので
家の手伝いをしながら学校に行くにも
遠くにあっては通いきれない
ことを知ります。

第44話「運命の糸つなげて」その2 へと続く。

 


 

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