前原一誠 立ち上がる

                                         

久坂玄瑞の子・秀次郎と美和は別れ
秀次郎を、秀次郎の母・辰路のもとに帰します。

一方、新政府では徴兵令が発布され、
物議を醸していました。

新政府は、次々と改革を断行し、
改革の歪は、次第に大きくなっていたのです。

 


 

前原一誠の動き

萩でも、新政府に不満を持つ士族を
前原一誠が明倫館に集めてると
杉民治が美和に知らせます。

この集会を呼びかけたのは
吉田松陰の弟子である前原一誠でした。

明倫館へ行ってみると、
楫取久米次郎、吉田小太郎も加わっており、
美和が声をかけようとしますが
民治が止めます。

杉家に戻り、民治と美和が、
滝、亀に、そのことを話していると、
久米次郎と小太郎とともに
前原が現れました。

 


 

前原の杉家でのひととき

前原は、松蔭先生に会いに来たというので、
松蔭の肖像画のある部屋へ通します。

玉木文之進が現れ
新政府に立ち向かうことに賛同していると
前原に話してると、
滝がお風呂が湧いたと、前原に言います。

滝に背中を流してもらいながら、
前原は、松蔭の思い出を語ります。

 

 

前原の志

入浴後、美和は、
前原に白湯を持ってきますが、
何も聞こうとはしません。

前原は、越後で判事をしていた時、
民の暮らしがあまりに苦しかったため、
年貢半減令を出し、職を追われたことを
美和に打ち明けます。

もし、松蔭先生が生きていたら、
新政府に対して、
命がけの意見をされるでしょう・・
と、前原が話すと、
美和は、力では何も動かせない・・
動かすことができるのは心では・・・
と言います。

もう一度、皆と話し合ってみると
前原は、寂しげ杉家を去って行きました。

 

 

新政府の苦悩

その頃、新政府では
鹿児島の西郷隆盛の周りでも
不穏な動きがあると、伊藤博文が
木戸孝允に伝えています。

しかし、木戸は
今、進めなくてはいけないのは産業で、
産業を興して、一刻もはやく
西洋諸国に肩を並べるだけの
国力を持たなければならない・・
と考えます。

そこで、政府が目をつけたのが
生糸でした。

開国以来、日本の生糸は品質も良く
海外に飛ぶように売れていたのでした。

 

 

木戸孝允の懇願

政府は、明治5年(1872)に、
富岡製糸場を建設、
北関東の群馬に
その拠点を置こうとしていたのでした。

しかし、群馬を仕切るのは難儀であり
それができる人物は
楫取素彦しかいない・・と
木戸孝允は、二条窪へ楫取を訪ねます。

そして、農作業に勤しんでいた楫取に、
群馬の県令への就任をして欲しいと
木戸は、頭を下げます。

しかし、楫取は断りました。

その話を聞いた井上馨も驚きますが
高杉小忠太は、楫取の心中を察します。

木戸は、粘り強く勧めるつもりでした。

第41話「いざ、群馬へ」その2 へと続く。

 


 

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