「桜田門外の変」と幕府の権威の失墜 長井雅楽の「航海遠略策」

                                         

安政7年(1860)2月
吉田松陰が処刑されてからの
杉家や松下村塾の塾生たちの
日常の生活の様子から
第2部第18話は始まります。

高杉晋作は婚礼を挙げ
松陰の墓もでき、百日祭も執り行われました。

それぞれの思いを胸に、塾生一同で松陰の墓参りをしています。

そんな近況報告を、文が心の中で兄・松陰にしています。

 


 

松下村塾の復興

ashouka002松下村塾に行くと
取り外した塾の看板の前で
文之進が座っています。

「もう、終いじゃ・・もはや、これまでじゃ」
と言う文之進に

「いえ、これからです」
と文は言います。

「寅兄様はここを小田村様に託されました。
小田村の義兄上ならきっと、
松下村塾を引き継いで下さいます」

ところが、その頃、小田村伊之助は、
三田尻(山口県防府市)にある
越氏塾の塾長になるよう
周布政之助より指示されます。

伊之助は、松陰の亡き後、
松下村塾を継ぐつもりだった旨を
周布に訴えます。

けれども、松陰を失い、
いきり立っている塾生たちが
何をするかわからないので
江戸の井伊大老の目が光っている今、
松下村塾を復興させるわかにはいかない・・
と、周布は伊之助に言い、去ります。

 


 

桜田門外の変

幕府の最高責任者であった井伊直弼
安政7年(1860)3月3日、
桜田門外の変」で暗殺されたと
杉家に手紙が届きます。

開国に反対する尊攘派の無名の浪士たちが
江戸城門前で井伊直弼を襲ったのです。

桜田門外の変」以後、幕府の権威は
大いに失墜することになります。

井伊を討ったのは、
脱藩した水戸浪士、薩摩藩士たちで、
長州藩士や塾生がいないことに
文は安堵しました。

しかし、久坂玄瑞は、
本来は長州が為すべきことを
他藩に先を越され、
痛恨の極み・・と嘆きます。

その後、台所で亀より
伊之助が三田尻の越氏塾に行くと
聞いた文が、伊之助の家にやってきます。

井伊大老が討たれて
幕府はさらに力を持って
攘夷派を潰しに来ることが予測され
松下村塾が潰されることを
避けるために越氏塾に行く・・
と、伊之助は文に言います。

そして、松陰を守り切れなかったことを
伊之助は、寿と文に詫びます。

文は、黙って首を横に振ります。

 

入江九一と野村靖の釈放

数日後、岩倉獄につながられていた
入江九一野村靖が釈放されて
松下村塾を訪ねてきます。

amaehara塾生たちが集まる中、前原一誠が
伏見要駕策』を話したことを
入江・野村兄弟に詫びます。

「おかげで、こうしてまた会えた・・
わかっちょる。
前原さんは前原さんの誠を尽くしたと。
なんも謝ることはありゃせん」

と、入江は前原にニッコリ笑って言いました。

塾生たちは、久しぶりの宴となり
松陰の言葉と教えを皆で語ります。

 

航海遠略策

a-nagaiuta萩城で重臣たちが集う中
藩の重臣である長井雅楽
航海遠略策』を提案します。

『航海遠略策』とは・・・
すでに異国と条約は締結されてしまっているため
朝廷からあらためて開国の勅命を出してもらい、
幕府はそれに遂行する形を取るという内容です。

それに対して伊之助は、
世に生じている『』があるため
『航海遠略策』のような折衷案を
藩是すなわち藩の方針として出せば
さらに混乱が生じると、異を唱えます。

けれども、伊之助の意見に対して
長井雅楽だけではなく、他の重臣たちも
険しい表情をしていることに
伊之助はうろたえます。

その晩、周布と長井、伊之助は
料亭の一室にいました。

長井雅楽は、京にも江戸にも
すでに根回しをしていて
『航海遠略策』の賛同を得ているとのことでした。

adaimajinそこへ、すごい勢いでやって来た久坂が
長井の『航海遠略策』に反論します。

長井が、松陰の名前を口にすると
久坂はさらに熱くなってしまい、
松陰を見殺しにしたと責め立てます。

そんな久坂を
伊之助は廊下に連れ出して言います。

「忘れたんか ? 寅次郎の『』を、『魂』を・・
あいつの願うた世に、この国を変えてみせる !!
そうすることで、寅次郎は死なん。

久坂、考えろ。今、お前のすべきことを・・
お前の『志』は何じゃ ?」

第18話「龍馬 ! 登場」その2 へと続く

 


 

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