岩殿城へ向かう勝頼

                                         

「船出」その3 からの続きです。

3月3日、武田勝頼は、新府城を出て
岩殿城に向かいます。

一方、真田家に戻ることになった松は
夫・小山田茂誠との別れを惜しみ、
薫は、渋々旅支度をしています。

そんな母と姉の準備を、真田信幸は
今か今かと待っています。

勝頼が城を出れば、周囲に知れ渡り
真田家の出発が遅くなれば遅くなるほど
それだけ危険が増すからです。

 


 

勝頼そして新府城との別れ

その頃、真田信繁は勝頼の一行を
丘の上から見送っていました。

馬上の勝頼と目が合った信繁は
膝をついて頭を下げます。

勝頼は静かに頷いて見せますが
その目には涙が光っていました。

結局、真田家一行が新府を発ったのは
昼過ぎとなりました。

新府から岩櫃城までは37里・約145kmで、
歩いて行けば、3日程かかります。

真田家の一行が
山道に差しかかったところで
新府城に火の手が上がります。

真田家の者は、
それぞれの思いを秘めながら
その光景を眺めます。

勝頼が、新府城で過ごしたのは
わずか一月あまりでした。

 


 

小山田信茂の裏切り

諏訪の高島城が落ちると、
織田軍の勢いはとどまることを知らず
信長の嫡男・信忠の軍勢が
上諏訪まで陣を進めます。

一方、勝頼の一行は
離反する者があとを絶たず、
新府を出発時に600人いた総勢は
笹子峠の手前で100人を切っていました。

峠を前にして、小山田信茂が
自分は、御屋形様の
お迎えの支度のため先に行く・・
ここから険しくなるので
ゆっくりとお越しください・・
と、勝頼に進言し、
家来たちと、馬を走らせて先に行きます。

ところが、笹子峠の関で、
随行していた小山田茂誠は、信茂より
木戸を閉め、勝頼を通してならぬ・・
と、耳を疑うような指令を受けます。

やがて、勝頼一行が関に着き
木戸の前で停止します。

勝頼の脇にいた跡部勝資が
木戸を開けるよう叫ぶと、
柵の向こうの井楼に茂誠が現れ
信茂が織田方に加勢する旨を言い放ちます。

一行に動揺が走る中、勝頼は、
顔色一つ変えずに佇んでいましたが
目前の状況を悟ったような表情を見せ
もと来た道を戻って行きます。

井楼の上で茂誠は泣いていました。

 

 

真田丸の船出

甲斐の名門・武田氏の命運は
尽きようとしていました。

それは一つの時代の終焉であり
「動乱の天正10年」の
始まりでもありました。

北は、名将・上杉謙信から
越後を引き継いだ上杉景勝。

東は、稀代の英雄・北条早雲から
数えて4代目の北条氏政。

南は、真田一族の前に
やがて最大の敵として立ちはだかる徳川家康。

西は、史上空前の領土を手にし
天下人として名乗りをあげた織田信長。

真田家の者たちは、その中を、
小さく寄り添って岩櫃城へと進んでいました。

源三郎信幸は、のちに徳川家の大名として
信濃の松代藩10万石の礎を築きます。

源次郎信繁は、後世では「真田幸村」の名で
知られることになります。

戦国という大海原に「真田丸」という
一隻の小舟が漕ぎ出しました。

波乱万丈の船出です。

 


 

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